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 今日は、京都大会(C~E級)でした。大会に参加したみなさんお疲れさまでした。入賞されたみなさん、おめでとうございます。


 写真は、D級会場の同志社女子大です。

 京阪出町柳駅を出ると、「ピーヒョロロ」とトンビの鳴き声が。「あれ?」と思って見上げると、いました!

 それも1羽だけではありません。木の上やビルの屋上など、あちこちから鳴き声が聞こえます。そういえば、鴨川べりでお弁当を食べていると、トンビに襲われるとニュースでやっていましたね。犯人は君か!

 さて、大会後のお楽しみは、百人一首ゆかりの地めぐりです。今回は、紫式部ゆかりの蘆山寺を訪ねました。京都御所のすぐ東にあります。


 このお寺がある場所は紫式部の邸宅跡で、「源氏物語」もここで書かれたそうです。境内には歌碑がありました。


 左側に紫式部
 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな(57番)

 右側に娘の大弐三位
 有馬山 猪名の笹原 風ふけば いでそよ人を 忘れやはする(58番)

が、刻まれています。
 夏には「源氏の庭」に桔梗が咲き誇るそうです。今度は桔梗の見頃に訪れてみたいです。

 今日は愛知大会(D・E級)でした。参加したみなさん、お疲れさまでした。そして入賞されたみなさん、おめでとうございます!


 会場となった、愛知県武道館です。

 ふと、足元を見ると…


  マンホールの蓋に描かれた、これはなんやろ?アメンボ…かな?調べてみるとアメンボをモチーフにした名古屋市上下水道局のイメージキャラクターでした。

 さて、大会後は少し足を延ばして、蒲郡へ。
 蒲郡の竹谷・蒲形地区は、三河の国司として赴任していた藤原俊成が開発したといわれています。藤原俊成は百人一首の撰者・藤原定家のお父さんです。百人一首には

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる(83番 皇太后宮大夫俊成)が採られています。

 蒲郡の駅から海に向かって15分ほど歩くと俊成苑に到着。俊成の像がありました。


 向かって左側には、歌碑もありましたが写真を撮り忘れてしまいました。
 俊成の視線の先にあるのは、蒲郡のシンボル・竹島です。島全体が、俊成が開発成就を願って琵琶湖の竹生島から勧請した八百富神社の境内になっています。



 俊成は三河湾に面した温暖なこの地を大変好んだということですが、今も優しく見守っているのですね。
 

今日は、護国神社儀式殿をお借りしての練習でした。暑い中、みなさんお疲れさまでした。


A級選手からの指導もありました。

練習の後は、みんなでお掃除です。


小学生男子コンビも大活躍でした。ありがとう!

初心者講習会を開催し、大勢の参加者にお集まりいただきました。

札流しの実演。注がれる視線に、Yちゃんもちょっと緊張気味…?

 B級選手による模範試合。この後、参加者同士で対戦もしていただきました。
 講習会をきっかけに、その後多数入会いただき、担当者も嬉しい悲鳴をあげています。今回の初心者講習会には、予想以上の応募があり、残念ながら全員にご参加いただけませんでした。今後も開催いたしますので、またお申し込みくださいね。



警報が解除されたため、初心者講習会を12時から開催いたします。
参加可能な方は、12時までに起こしください。
参加できない方は、次回講習会については優先参加とさせていただきます。
また、個別に見学、体験も受付けますので、先日お送りしたハガキにあるメールアドレスまでご連絡下さい。
本日開催予定の初心者講習会は堺市に暴風警報発令、開催場所が休館となっているため中止と致します。
午前10時半までに解除になれば、時間を遅らせて開催する可能性があります。
改めてこちらでご連絡させていただきます。
本日または代替の日に参加出来ない方の対応も致しますので、今しばらく連絡をお待ち下さい。

今日は羽倉崎町会館での練習でした。

 もぐもぐタイムに登場したのは、今が旬の枇杷。枇杷の名前は、実の形が楽器の琵琶に似ていることに由来しているそうです。

 さて、琵琶の名手の一人といわれるのが、第62代の村上天皇です。村上天皇は、960年の「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」を催したことで知られています。歌合とは、和歌の作者が左右のチームに分かれ、与えられた歌題を歌に詠んで、優劣を競うものです。このときの20番目の勝負「恋」の歌題で詠まれたのが、

 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで (百人一首40番 平兼盛)
 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(百人一首41番 壬生忠見)

の2首です。判者は優劣をつけられず、引き分けにしようとしたところ、村上天皇が「忍ぶれど」と口ずさんだために、平兼盛の勝ちになったといわれています。下級官僚だった壬生忠見は、出世を懸けて勝負に臨んでいたので、悔しさのあまり病気になって死んでしまったという逸話まで残っています。(もっとも、忠見の晩年の歌が残っているので、これは作り話のようです)

 この村上天皇を祀った神社が、神戸市須磨区にあります。


 村上帝社です。すぐ後ろを山陽電鉄本線が走っています。この神社については、琵琶にまつわる伝承があるそうですが、それはまた別の機会に。

 7月より、これまでの練習会場に加えて「錦西コミュニティセンター体育館」が使用できるようになりました。


堺市立青少年センター(白寿荘)から徒歩1分。周囲も静かです。

 ここに畳を敷いて使用します。

 月に2、3回の使用になりますが、終日練習の機会も増えます。大会での上位入賞を目指して、奮ってご参加くださいね!

 今日は住之江区の大阪護国神社で練習でした。来週6月10日(日)に福井で行われる「女流選手権」に向け、和装で練習する人もいて練習会場は華やかでした。「女流選手権」に出場するみなさん、頑張ってくださいね!


 住之江区は1974年(昭和49年)に住吉区が分割されて誕生しました。百人一首18番に「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ」(藤原敏行朝臣)があるので、なんとなく親しみがありますね。


 住之江区安立の阿弥陀寺には、歌碑があります。


 安立は「一寸法師ゆかりの地」らしいです。昔、この辺りには針屋が多く、一寸法師が針を刀としたことにあやかったようですが、おもしろいですね。写真にもありますが、今は「針屋」より「鍼屋」の方が多いかもしれません。

 DE級、今日は住吉体育館で練習でした。みなさん、お疲れさまです。

 なにはえ会のメンバーが大会や練習で着ている、「澪標Tシャツ」。胸には「澪標」の文字、背中には名前と自分で選んだ数字が入っています。この背番号ですが「なぜその番号を選んだのか?」を聞いてみると、大きく3つに分かれるようです。

① 名前の語呂合わせ派・・・「163」ひろみ、「23」ふみ、「38」さわ など

② 自分の誕生日派・・・「215」2月15日、「32」3月2日 など

③ 好きな札番号派・・・「17」ちは「40」しの「100」もも など
 *ただし、いちばん好きな札ではなく、わざと2ばんめの札にしているという策士もいます。

 なかには、こんな人も。わざわざRをひっくり返しているあたり、手が込んでいます。(え?会長のですか?)…素敵ですよね!

 ちなみにこのTシャツは、札流しと決まり字の規定タイムをクリアすると、会長からプレゼントされます。会員が増えたので、会長のお財布がピンチだそうですが、まだの方頑張ってクリアしてくださいね。

 さて、澪標(みおつくし)とは船が往来するときの目印として、浅瀬との境に立てられる杭のことです。


 大阪市の市章としても使われていますね。

 『源氏物語』第14巻のタイトルにもなっています。


 住吉公園には「澪標の巻」の住吉詣での様子が描かれたレリーフがあります。住吉公園を訪れた際には、探してみてくださいね。

 今日は羽倉崎町会館での練習会でした。新年度になり、泉佐野でも新しいメンバーを迎えました。

 試合前に、札の一部を裏返して暗記の確認をしているところです。

 さて話は変わりますが、京都から熊野三山への参詣道として発達した熊野街道。自分が住んでいる街を通っているよという人も多いかと思います。この街道沿いには、熊野権現の分身とされる「熊野九十九王子」が配されていました。そこは道中の無事を祈る場であり、休憩所の役割も果たしていました。泉佐野には貝田王子、佐野王子、籾井(もみい)王子の3つがあったようです。

 籾井王子跡には石碑が建っています(民家のお庭ですが、許可を得て撮影しています)。

 藤原定家(小倉百人一首の撰者、97番「こぬ」の作者)が1201年に後鳥羽院の熊野御幸に随行した時に書き残した『後鳥羽院熊野御幸記』には、籾井王子で奉幣、里神楽のあと、舞や相撲を奉納したことが記されています。後鳥羽院は百人一首99番「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は」の作者です。

 百人一首の歌人たちが800年前にここに立っていたのかと思うと、わくわくしませんか?