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警報が解除されたため、初心者講習会を12時から開催いたします。
参加可能な方は、12時までに起こしください。
参加できない方は、次回講習会については優先参加とさせていただきます。
また、個別に見学、体験も受付けますので、先日お送りしたハガキにあるメールアドレスまでご連絡下さい。
本日開催予定の初心者講習会は堺市に暴風警報発令、開催場所が休館となっているため中止と致します。
午前10時半までに解除になれば、時間を遅らせて開催する可能性があります。
改めてこちらでご連絡させていただきます。
本日または代替の日に参加出来ない方の対応も致しますので、今しばらく連絡をお待ち下さい。

 7月より、これまでの練習会場に加えて「錦西コミュニティセンター体育館」が使用できるようになりました。


堺市立青少年センター(白寿荘)から徒歩1分。周囲も静かです。

 ここに畳を敷いて使用します。

 月に2、3回の使用になりますが、終日練習の機会も増えます。大会での上位入賞を目指して、奮ってご参加くださいね!

 今日は住之江区の大阪護国神社で練習でした。来週6月10日(日)に福井で行われる「女流選手権」に向け、和装で練習する人もいて練習会場は華やかでした。「女流選手権」に出場するみなさん、頑張ってくださいね!


 住之江区は1974年(昭和49年)に住吉区が分割されて誕生しました。百人一首18番に「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ」(藤原敏行朝臣)があるので、なんとなく親しみがありますね。


 住之江区安立の阿弥陀寺には、歌碑があります。


 安立は「一寸法師ゆかりの地」らしいです。昔、この辺りには針屋が多く、一寸法師が針を刀としたことにあやかったようですが、おもしろいですね。写真にもありますが、今は「針屋」より「鍼屋」の方が多いかもしれません。

 DE級、今日は住吉体育館で練習でした。みなさん、お疲れさまです。

 なにはえ会のメンバーが大会や練習で着ている、「澪標Tシャツ」。胸には「澪標」の文字、背中には名前と自分で選んだ数字が入っています。この背番号ですが「なぜその番号を選んだのか?」を聞いてみると、大きく3つに分かれるようです。

① 名前の語呂合わせ派・・・「163」ひろみ、「23」ふみ、「38」さわ など

② 自分の誕生日派・・・「215」2月15日、「32」3月2日 など

③ 好きな札番号派・・・「17」ちは「40」しの「100」もも など
 *ただし、いちばん好きな札ではなく、わざと2ばんめの札にしているという策士もいます。

 なかには、こんな人も。わざわざRをひっくり返しているあたり、手が込んでいます。(え?会長のですか?)…素敵ですよね!

 ちなみにこのTシャツは、札流しと決まり字の規定タイムをクリアすると、会長からプレゼントされます。会員が増えたので、会長のお財布がピンチだそうですが、まだの方頑張ってクリアしてくださいね。

 さて、澪標(みおつくし)とは船が往来するときの目印として、浅瀬との境に立てられる杭のことです。


 大阪市の市章としても使われていますね。

 『源氏物語』第14巻のタイトルにもなっています。


 住吉公園には「澪標の巻」の住吉詣での様子が描かれたレリーフがあります。住吉公園を訪れた際には、探してみてくださいね。

 今日は羽倉崎町会館での練習会でした。新年度になり、泉佐野でも新しいメンバーを迎えました。

 試合前に、札の一部を裏返して暗記の確認をしているところです。

 さて話は変わりますが、京都から熊野三山への参詣道として発達した熊野街道。自分が住んでいる街を通っているよという人も多いかと思います。この街道沿いには、熊野権現の分身とされる「熊野九十九王子」が配されていました。そこは道中の無事を祈る場であり、休憩所の役割も果たしていました。泉佐野には貝田王子、佐野王子、籾井(もみい)王子の3つがあったようです。

 籾井王子跡には石碑が建っています(民家のお庭ですが、許可を得て撮影しています)。

 藤原定家(小倉百人一首の撰者、97番「こぬ」の作者)が1201年に後鳥羽院の熊野御幸に随行した時に書き残した『後鳥羽院熊野御幸記』には、籾井王子で奉幣、里神楽のあと、舞や相撲を奉納したことが記されています。後鳥羽院は百人一首99番「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は」の作者です。

 百人一首の歌人たちが800年前にここに立っていたのかと思うと、わくわくしませんか?

今日は、泉佐野での練習会でした。

ネットでこんなのを見つけました。

 札飛ばし競技大会!! 大会記録5m50cm!!

   これは挑戦するしかないでしょう!

 ということで、練習の合間にチャレンジしました。

 ルールの詳細がわからないので、元の位置から札がどれだけ飛んだかを計測しました。最高記録は、Tちゃんの8m90cm !!!  場所が広かったら、もっと記録が伸びたと思われます。

 「大会に出たら、優勝できるんじゃない?」「賞品、お肉1キロだって!」と盛り上がる一同。

 「場所、どこ!?」「・・・秋田」「・・・」

  泉佐野からは車で14時間です。来年も開催されるなら、チャレンジしてみる??

 

 兵庫大会に参加された方、お疲れさまでした。そして、入賞された方、おめでとうございます。

 兵庫県が詠まれた歌は、百人一首にも多くあります。

「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守」(78番 源兼昌)もそのひとつですね。

 この「須磨の関」については、どこにあったのか諸説あるそうです。


 ひとつめの候補地、関守稲荷神社です。

 境内には、歌碑があります。

 ふたつめの候補の現光寺です。「源氏寺」とも呼ばれ、「源氏物語」で光源氏がわび住まいをしたところと語り継がれてきたそうです。光源氏って架空の人物ですが…?きっと、物語の雰囲気にぴったりだったということなんでしょうね。

 こちらの境内には石碑があります。

 関跡については、他にも多井畑厄除八幡宮などの説があるようです。

 須磨の海岸では、潮干狩りや水遊びを楽しむ人たちが。あいにくの曇りでしたが、晴れていたら淡路島が見えるんでしょうか?残念ながら、千鳥は鳴いていませんでした。

 大会あとの寄り道は楽しいですが、帰りの時間を心配するぐらい勝ち進まないといけませんよね(汗)

 

 高校選手権団体予選のため、そちらに参加する高校生やお手伝いの有段者は不在。全員が住吉会場での練習となりました。参加者が30名を超え、バランスを考えながら対戦の組み合わせをしてくださるお世話係の方も大変です。

 翌日の 兵庫大会に出場を予定している人も多く、みな調整に余念がありません。

  練習会場となっている住吉体育館は、住吉公園の中にあります。住吉公園は、明治6(1873)年に開園した、大阪で最も古い公園のひとつですが、もともとは住吉大社の境内でした。


 公園の中央を走る「汐掛道(しおかけみち)」は住吉大社の表参道で、松原が広がりその先に遠浅の海岸が開ける「白砂青松」の景勝地として、有名だったようです。 

 汐掛道にある「汐掛道顕彰碑」には、昔の景色が描かれています。周りの景色が映りこんで見にくいですが、左下の方には「みおつくし」もありますね。

 「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ」(18番 藤原敏行朝臣)の 「住の江」はまさしくこの辺りを指しています。埋め立てですっかり景色は変わってしまっていますが、汐掛道に立って、札のイメージをふくらませるのもいいかも知れませんよ。

 


 堺会場と住吉会場に分かれ、それぞれ練習しました。写真は堺会場のようすです。


 29日(日・祝)には、高校選手権団体予選、30日(月・振替休日)には兵庫大会が控えており、練習にも熱が入ります。

 さて、練習の合間のエネルギー補給は、カルタ―にとっては常識ですが、個人的にお気に入りはこれです!

 シンプルなおにぎりですが、「藻塩」の文字に惹かれ、手を伸ばしてしまいます。そう、藻塩といえば、「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」(97番 権中納言定家)ですね。

も‐しお〔‐しほ〕【藻塩】海藻からとった塩。海藻を簀(す)の上に積み、いく度も潮水を注ぎかけて塩分を多く含ませ、これを焼いて水に溶かし、その上澄みを煮つめて製する。(デジタル大辞泉より)

 おにぎりを頬ばりつつ、「こぬ」が速く取れることを願うのでした。

 かるたの札というと、競技用でも家庭用でも紙製が一般的ですが、木製の札があるのを知っていますか?

 それがこれです!

 木製ということもありますが、変体仮名で書かれているので、札の印象がずいぶん違います。

 この札を使った「下の句かるた」は北海道で盛んに行われていて、その名前の通り、下の句だけが読み上げられます。1チーム3人の源平戦のような形で行われますが、メンバーの役割も決まっていて、札の配置にもルールがあるようです。

 まんが「ちはやふる」では、千早の後輩・筑波くんが「下の句かるた」の経験者でしたね。興味のある方は、挑戦してみてください!

 毎週水曜日18:15~21:00は、泉佐野市の羽倉崎町町会館で練習をしています。

 この日(3月28日)は、参加者が少なく6名でしたが、濃~く練習しました。

 さて、ここ泉佐野市には「蟻通(ありとおし)神社」という紀貫之ゆかりの神社があります。

 能舞台があり、毎年9月には「ありとほし薪能」が行われています。 

 紀貫之といえば、百人一首35番「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける」の作者ですね。

 平安時代の歌人紀貫之は、紀州からの帰途、馬上のまま蟻通神社の前を通り過ぎようとします。するとたちまち辺りは曇り雨が降り、乗っていた馬が、病に倒れます。そこへ通りかかった里人(宮守)の進言に従い、傍らの渕で手を清め、その神名を尋ねたところ「ありとほしの神」と言ったのを聞いて歌を詠んで献上します。その歌の功徳で神霊を慰め、霊験があらわれたため、馬の病が回復し、再び京へと旅立ちます。実は里人(宮守)は、蟻通明神の神霊だったという伝承です。このお話は、枕草子「社は」の段に記載されています。(蟻通神社ホームページより)

 紀貫之、ちょっとうっかりさんだったようですが、歌の力で神様の怒りを鎮めてしまうとはさすがです。現在の蟻通神社は当時とは違う場所にあるそうですが、神社を訪れて紀貫之に思いをはせ、泉佐野での練習に参加してみませんか?