泉佐野練習会 1月
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泉佐野練習会の様子です。
愛知大会に参加したメンバーの差し入れがあったので、練習の合間のもぐもぐタイムにいただきました。
名古屋といえば、やはり「小倉トースト」、その小倉トーストを再現したお菓子です。おいしくいただきながら、「そういえば、なんであずきあんのことを小倉っていうんだろう?」と今更ながらの疑問が湧きました。
早速、調べてみると、
• つぶあん(粒餡) - 小豆をなるべく皮を破らないよう裏ごし等をせず豆の形を残した餡。柔らかく煮上げて渋を切り、その生餡に甘味を加えて練り上げる。
• つぶしあん(つぶし餡) - 小豆を潰すものの豆の種皮は取り除かないもの。
• こしあん(漉し餡) - 小豆を潰し布等で裏ごしして豆の種皮を取り除いたもの。
• 小倉あん - つぶし餡やこし餡に蜜で煮て漬けた大納言を加えて加工したもの。煮崩れしにくい大納言種の小豆の粒餡と粒の小さい普通小豆のこし餡を混ぜたものが本来の小倉餡であるが、近年では粒餡の事を小倉餡とする場合もある。小倉餡の名前の由来は809年頃に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を、現在の京都市右京区嵯峨小倉山近辺で栽培し、和三郎という菓子職人が砂糖を加え煮つめて餡を作り御所に献上したのが発祥とされる(異説として小豆の粒が鹿の斑紋に似ることから、鹿と言えばモミジ、モミジと言えば紅葉で有名な小倉山(京都)との連想からというものもある)。
(ウィキペディアより)
厳密にいうと、小倉あんは、つぶあんやつぶしあんとは違うんですね。そして、「小倉」はやはり京都の小倉山にちなんだものでした。藤原定家が小倉山の山荘で選んだといわれる百人一首とも、つながりがありますね。
小倉山 峰の紅葉場 心あらば 今ひとたびの 行幸待たなむ (26番 貞信公)
貞信公とは、藤原氏全盛の基礎を作った藤原忠平(880-949年)のこと。忠平も小倉あんを食べたのでしょうか?
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